国家や産業社会の功利主義によって教育は常に左右されてきたし、またそれ故にこそ、国家や産業社会の中でより有利に生きることを考える親は、そうした国家や産業社会の功利主義に合わせた進路を子どもに考えてきたのである。それゆえ、国家や産業社会の求める人材の質が変おってきて、入社や入試の選抜制度や教育システムが変化したところで、今度はそれをめぐる「傾向と対策」が変わるだけの話で、国家と産業社会も、親も、塾や予備校も、自分たちが有利に生きのびたいというまさにその一点で見事に一致していて、この一致点が揺らぐことがない限り、厳しい受験戦争は別の形で、どこかの年代で、今後もずっと続くであろう。親の功利主義は、国家や産業社会の功利主義と見事なほどに表裏一体であったのだ。またそれ故に、世の識者と称する人達の「学歴主義批判」や「受験戦争批判」は、それに挫折した人々の怨念を合理化し、不満を吸収するための巧妙な「管理のためのイデオロギー」として逆説的にしか機能していないのが現状なのである。
【参考】
http://www.adoctorinyourhousedot.net/menu2/ddursz13186.html
http://www.affordable-medical-billing-software.net/menu2/nonzmf13185.html